2011年FUJI 奨学金授与の旅

2011年の奨学金授与の旅は、9月29日から10月6日までベトナム南部で 4つの学校で奨学金を贈りました。高階さんが報告します(A)。
その後、一行のうち6人は10月4日にハノイへ向かい、ベトナム北部の2つの学校で奨学金を 授与してきました。うち1校は、今年が奨学金をはじめて贈呈することにしたキムソンB 高校です。向野さんが報告します(B)。向野さんが書いた『お母さん、ぼくが生まれて ごめんなさい』(2002年刊)は、2007年7月13日(金)にフジテレビでドラマ化されました。
奨学金授与式の様子をルーンさん(C)が、旅の「同行日記」を土屋さん(D)が報告します。


【9月29日(木):ホーチミン市→カントー市】

お天気:晴れ
 「FUJI教育基金」の「FUJI奨学金授与の旅」に同行させて いただくため、早朝からホーチミンへ向かった。私は9月7日からハノイで生活 を始めたので、皆様と現地で合流することになった。
 これから5日ほど南部を転々とする。
 わくわくする。
 ハノイ市のノイバイ空港から早めの便に乗り、ホーチミン市のタンソンニャット 国際空港に到着し、いったん市内へと向かった。ホーチミンへ来るのはこれで3回目。 前回・前々回は時間の都合上タクシーを利用したが、今回はバスに初挑戦。 空港の係員さんやバスの運転手さんが優しく、問題なく市内に到着。
 FUJI教育基金代表のルーンさんから以前伺っていた一押しの小物店に立ち寄りつつ、 しばらくホーチミンの街をふらふらした後、wifiのあるカフェで時間をつぶした。
 お昼過ぎに再びバスで、待ち合わせのタンソンニャット国際空港へ向かった。 14時にすでに空港へ到着されていた一部のFUJI教育基金のメンバーと合流し、 その後、関西、東京からいらした方々とも初顔合せ。
 長年活動に携わっている方が多く、久々の再会を喜んでいらした。
 到着したメンバーが扉の向こうから出てくるのを見るや否や、ロビーへ出て来るのを 待ちきれず外から中へと入り、通路の真ん中で抱き合うメンバーの方々の姿がとても 印象的だった。
 こういう再会の瞬間って好き。
 今回はFUJIメンバーの出井さんがいらっしゃれないとのことで、正直この中に 上手く溶け込めるのかという不安と心細さを感じつつも、いざ出発。

◆タンタオ大学(Tan Tao University)
タンソンニャット空港から大型バスで、ロンアン省(Long An province) のドゥック・ホア市(Duc Hoa)にあるタンタオ大学(Tan Tao University)へ向かった。 ホーチミンからはバスで2時間ほど。
 バスに乗るとベトナムのお餅にお菓子、バナナにお手拭き、南部の地図など次々 と嬉しいものを手渡され、事細かな配慮の行き届いたベトナム人スタッフの方々 の準備に感動。自分が活動している時に不足している気配りを、 この旅で学びたい。
 タンタオ大学は去年できたばかりの真新しい私立大学で、各高校からトップクラス の学生だけを集めたエリート校を目指しているという。



 海外とのコネクションが強く、1年目の学生は皆ベトナム人だが、教授はハンガリー やアメリカなど外国の方が多く、ベトナム人の教授も海外で活躍している人 を呼び戻しての大きな取り組みを行なっているとのこと。



 授業は全て英語で行う。早稲田大学の国際教養学部みたいだ(国際教養学部は エリート校を目指しているわけではないと思うけれど)。
 今は科学学部(School of Engineering)、経済学部(School of Business)、 文学部(School of Humanities & Languages)しかないが、 来年は医学部が加わるという。
 タンタオ大学の1年目の新入生は200人を目標としていたが、85人にとどまった。
 真新しい大学で前例がないと、「大丈夫なのか」と不安を抱く学生が多いのだろうか。
 ここでは1年目の学費と寮生活(学生はみな寮生活が義務)の費用が全額無料だという。 2年目からは各自の成績によって学費が異なるそうだ。
 結果が全て。
 私ならそもそも入れないけど、入ってもプレッシャーに負けそう。
 図書館に入ったところで、海外からの訪問者を面白そうにジーッと見つめる学生 を見つけた。近づいて話しかけてみた。高校を卒業したばかりなのに英語ペラペラ。
 この大学の教授は一流の人ばかりだから、これからもっと、たくさん学生が入ってきて くれると良いと思う、と話していた。
 いかにも秀才な顔つきで、大学に大きな誇りと期待を持っているように見えた。
 自分を振り返ると、こんな誇りと期待、学生時代持ってなかった。
 「大学に行くのが当たり前」  「それが進むべき道」  当然のようにそう思っていた。 恵まれすぎて考えたこともなかった。この学生の顔が頭から離れない。
 この大学が着実に今目指すエリート校を実現した時、タンタオ大学は勿論、 ベトナムという国が更に脅威になると改めて感じた。それはハノイの同世代と付き合って いても感じる。
 パワーがみなぎっている。
 大学の周りは一面野原。この近場で、勉強以外いったい何ができるのだろう。
  学生は遊んだりするのかな。
  クラブ活動とかするのかな。
  スポーツとか音楽とか。
 美術館のような豪華な内装に少々戸惑いつつ(こんなに豪華にする必要はあるのだろうか という疑問も少々あり)、タンタオ大学を後にし、そのままホテルへと向かった。



  バスでぐっすり寝てしまい、目を覚ました時、辺りはすでに真っ暗。窓の外を眺めると、 道路が水で覆われていた。
 …ん?  一瞬何が起きているのかわからなかったが、バスの中のどなたかの声で、 メコン川がこの時期になると溢れ出すことを知った。
 バイクはもはや水に浸かり、タイヤが見えない状態。バイクを二人乗りする お姉さんの長いジーパンが、今にも水に浸かりそうだ。恒例行事のように、 家の中の水を掻きだすおばちゃんを発見。いたって冷静。
 日本だと、家の中にアリやクモ1つ見つけて大騒ぎする家庭もあるのに……。
 カントー市のホテルに到着後、夕食。



 日本人がビールやウィスキーを楽しむなか、ベトナムの女性は一滴も飲まなかった。
 私がこれまで付き合った数少ないベトナムの女性(主に10代後半か20代前半が多い) は、誰もお酒を飲まない。タバコも吸わない。
 ベトナムの女性は日本人の女性ほど飲まない&吸わないというイメージが一層強くなった (付き合う人が限られているので、偏見かもしれないが)。
 一日目を無事終えた。

【9月30日(金):カントー市】
お天気:晴れ
 早朝、ホテルのバイキングで朝食をとった。
 春巻など揚げ物類が目に入り、身体に悪そうと思いながらも、朝からガツガツ 胃袋に詰め込んだ。
 昨夜はふかふかのベッドでぐっすり寝てしまった。
 こんな贅沢をしていいのだろうか……。
 朝食を済ませた後、水上マーケットを見学。
◆水上マーケット
 しばらくの間、川を突き進んだ。



 川の両側に、人が住んでいるらしき素朴な家がポツポツと並んでいた。
 川の左右で家の素材が多少違っているように感じた。
 気のせいかな。
 左側のほうが、少し新しいというか、頑丈な造りに見えた。
 途中、メコン川で大量に掻き集められた砂の山を運ぶ船や、ガソリンスタンドに遭遇。



 しばらくして、ようやく水上マーケットの現場に到着。船がたくさん集まっていた。



 生まれて初めて間近で見た水上での果物の売買は新鮮そのもの。
 常に陸の上で生活をしている私からすると、ここでの生活は不思議でならない。 逆に、ここで暮らしている人からすると、私の生活環境は不思議なものなのだろうか。
 各船からは、長い棒が空に向かって突き上がり、そのてっぺんには品物が引っ掛けてあった。 どの船で何を売っているのか、遠くからでも見えるようになっていると、カーさんが 教えてくれた。



 果物を山盛り積んだ船が近付いてきてはとりあえず試食をし、味や気分で 買ったり買わなかったり。  種や皮はポイポイと水の中へ放り込む。
 日本でやったら、ご近所の人に白目で見られそう。
 水上では果物以外に、宝くじやフォーまで売っていた。
 これには驚いた。
 宝くじを売るおじさんは、以前までは船を購入するお金がなく、泳ぎ回って 販売していたとか。紙を濡らさずに、どうやって泳いでいたのだろう。



 そしてフォーは、波で船が左右に揺れる中、スープをこぼさずに食べられる ものなのだろうか。



 見学が終わった頃に、タイミングよく雨が降りだした。

◆カントー大学(Can Tho University)

 その後、FUJI教育基金が支援を開始してちょうど今年で20年を迎えるというカントー大学 (Can Tho University)へ向かった。
 (カントーは、いくら口で言っても発音が下手すぎてベトナム人に聞きとってもらえない。 私の場合だけかもしれないけれど。)  カントー大学の奨学生の1人に尋ねたところ、現在6万人の学生が在籍しているという。 早稲田大学より多い。



 無事に授与式が終わり、昼食をとるべく学生食堂へ向かおうとバスに乗り込むと、 ルーンさんが1人の女子大生を紹介してくれた。
 トゥー(Tu)さんという。彼女はボー・ティ・サウ高校の元奨学生で、今この大学で 3年目を迎え、電気(理系)の勉強に励んでいるという。
 感謝の気持ちを込めて、FUJI教育基金のために、電気を利用した置物 を作ってくれた。「FUJI」という文字と富士山の絵が、スイッチ1つでピカピカと 可愛いらしく光る。



 単純にその技術が凄いと思い、また感謝の気持ちを行動で表すトゥーさん を素敵だと思った。
 その後、偶然昼食で席が隣になったトゥーさんに将来の夢を聞いてみた。



 記憶が間違っていなければ、彼女はこのようなことを言っていた。
 「私が今勉強している電気に関わる仕事には、機材が重く肉体労働が多いので、 ほとんど男性が就いている。
 でも私は小柄で、男性のようには働けない。
 だから、女性でも働けるような仕事のモデルを考えて作ることが夢。」

 現実的かつ冷静に、そして前向きに逞しく話す彼女の姿は21歳。でも、 頭と心は私より年上な気がした。
 授業以外の時間は、勉強するか友達とカフェに行くかのどちらかだそうだ。

◆アンザン大学(An Giang University)

 長い昼食を終え、次なる目的地のロンスエン市(Long Xuyen)にあるアンザン大学(An Giang University)へ進んだ。
 2年前にここを訪れたメンバーの方々は、その変貌ぶりにだいぶ驚かれているようだった。



 以前工事していた建物がほとんど完成し、まるで別の場所のようだという。
 私は比較ができず残念。ただ、広々としていて雰囲気が好きだった。

 アンザン大学は創立11年。
The Prime Minister (PM) signed the Decision on An Giang University's Establishment in December 1999, thereby meeting the requirements of the Mekong Delta provinces to improve the quality of education in Vietnam and to share the responsibility with Can Tho University to offer higher education to the 40,000 high school students graduating every year throughout the Mekong Delta provinces.
 教師900人に生徒1万3,000人。
 ベトナムの大学ランキングトップ10に名を留めているという。
 FUJI教育基金のアンザン大学への奨学金授与は、2006年に開始したという。
 奨学金を受け取る学生の選定方法は:
 1. 成績
 2. 家庭の収入
 3. 担任と相談、大学が決定 の順序だという。
 アンザン大学にはFUJI奨学基金以外からの奨学金があるが、奨学金によっては、 1 と 2 の順序が逆の場合もあるという。

 副学長の姿勢は、奨学金を提供してくれる相手の考えを尊重するというものらしい。
 日本側からの 「今後も奨学生を20人にするか、減らして1人当たりの金額を上げるか」 という問いかけに対しても、FUJI教育基金に任せるとの回答だった。

 奨学生が20人と多く、またルーンさんのお心遣いもあり、私もFUJI奨学基金 の皆さまに紛れ込み、奨学金を手渡させていただいた。



 支援をしていないのにとても申し訳なく、複雑な気持ちで顔がひきつってしまった。
 でも、手渡す相手が偶然、授与式のあいだ隣の席に座っていた男子学生で、 会話を交わしていたことから、ほんの少し気持ちが和らいだ。
 その後、彼は思い出にとキーホルダーをくれた。
 (ありがとう。)

 奨学生を代表して、1人の学生が、FUJI教育基金の皆さまへ感謝の気持ちを述べた。
 偶然近くに座っていた私には、スピーチを続けるにつれ、彼女の瞳が徐々に潤んでいく のが見えた。彼女の隣の席に座る女子学生も、同じく目に涙を浮かべていた。
 2人の女子学生の姿が、今も頭に焼き付いている。
 同情したからではない。

 スピーチをした学生に関しては、その瞳に力強さと、自分にはとうていない逞しさを 感じた気がした。  自分のことだけを考え自分のためだけに生きている自分と、家族のために生きる彼女 の違いはとても大きい。

 とはいえ、授与式の終盤、FUJI教育基金から可愛い消しゴムやお菓子が配られると、 学生の緊張・集中力は一気に切れた。
 もう後は永遠と、がやがやざわざわ。
 でも、学生の作り笑顔や聞いているフリをする態度でなく、この自然なリアクションに 何故かほっとする自分がいた。

 授与式後は、学生からFUJI教育基金の皆さまへサイン攻撃。私も何人か 書かせてもらった。日本では有名人でない限り、こんな経験はない。 とても不思議に思っていたら、どなたかが、「(サインをもらうという行為は) 外国人とコミュニケーションを取るための1つの手段として学生が学んだことなのかな」 とおっしゃっていた。
 確かにそうなのかな。
 夜は奨学生や先生方の他、アンザン省で日本のお米を栽培していらっしゃる という江森さんと、青年海外協力隊でこちらにいらしているという木戸さんも 交えての夕食。
 学生たちの遠くに座ってしまい、交流できたのは1人の学生と先生方数名のみ。
 後悔。

 連日毎食、さまざまな種類のお鍋を皆で囲んでいる気がする。
 確実に胃袋が大きくなっている。
 今日も長い1日が終わった。
【10月1日(土):チャウドック市】
お天気:晴れ
◆ 午前中:ヴォー・ティ・サウ高校にて授与式に参加
ヴォー・ティ・サウ高校と、グェン・ディン・チュウ中学校の合同授与式が行われた。
今回の旅で、初めて高校生以下の学生と接する機会。
授与式の会場に向かう途中、通りがてら授業中の教室をちらっとのぞき込むと学生が こちらに気づき、外国人の私たちを興味深そうに、そろって眺める。
スター気分で手を振り、授業を妨害。
予定より30分ほど早く到着してしまったにもかかわらず、学校関係者の方々は全員揃い、 私たちを暖かく出迎えてくれた。



先生方と女子高校生は素敵なアオザイに、中学生は可愛いユニフォームに身を包んでいた。

[授与式での感謝の言葉で思ったこと]
1人の中学生が奨学生を代表し、FUJI教育基金へ感謝の言葉を述べてくれた。



メモを読み返し、こんな話をしてくれたことを思い出した。
   一生懸命勉強することで、家族を助けることができ、それが脱貧困につながる。
   奨学金をもらえたことは、努力が実った1つの証。
何となく印象に残る言葉だった。
「自分が◯◯をしたい。」
  「自分が〇〇の仕事に就きたい。」
  「親が子どもを養ってくれる。」

当然のように「自分」ばかりを主張してきた私など、思ったこともない奨学生の言葉。中学生にしては、ずいぶん大人っぽいスピーチだったように感じた。
テレビでもなく、新聞でもなく、目の前にいる学生が言っている言葉だから、心に残った。でもこのような発言は彼女に限らず、他の奨学生もしている。共通しているのは、「家族」というキーワード。
   「お金持ち=幸せとは限らない」
よく聞く言葉だけれど、本当にそうだろうなと思った。
ふと、自分自身の家庭における役割、存在価値、存在意義を自問した。
これまで、私は家族のために何をした?
してもらったことなら、数えきれないほどあるのに。
したことは思い付かない。
      
授与式の終盤には、学生が歌を披露してくれた。
あ、やっぱり…笑 「ベトナムの人は特に歌が好き。」
初めて渡越した時以来、その印象が私の中で非常に強い。
ハンセン病の療養所へ行き、そこで暮らす子どもと交流をすると、親や先生方の多くが私たちへのお礼にと、歌を歌うよう子どもたちに進める(強制的にも見える)。
ベトナム人の友達の多くも、本当に気持ちよさそうに歌う。いつでも、どこでも。
さすがに、これまでの大学で歌の披露はなかったけれど、今回は中高生がそろって歌ってくれた。

[質疑応答と、私の疑問]
全てのプログラムを終え、質疑応答の時間が設けられた。
FUJI教育基金のルーンさんが、以前にも毎年奨学金を受け取っている学生がいるかどうかを尋ねたところ、2人の学生が挙手した。 (私の席からは2人見えたけれど、もしかすると陰に隠れて他にも数名いたかもわからない。)
このうち1人は高校2年生で、もう1人は3年生。それぞれ2年、3年連続奨学金を受け取っているという。
正直、その少なさに驚いた。
      
旅中気になっていて、そのままにしてしまった疑問があった。
FUJI教育基金では、奨学生の選出は各学校に任せているということを、授与式を通じて理解した。
そして今回ヴォー・ティ・サウ高校を訪問し、奨学生の多くが毎年変わるという印象を受けた。
最初、奨学生の多くは家庭の事情により、奨学金なくして学校に通うことが困難であると理解していたので、毎年奨学生が変わるという状況の中、学生個々人に対する継続的なフォローアップはどのようになされているのか気になった。
去年奨学金を受け取り学校へ通えたけれど、今年は選ばれず、結果的に退学あるいは進学しないという学生はいないのだろうか。
もしいるならば、どれくらいいるのだろうか。
同じ学生を、必要に応じて入学から卒業まで面倒を見る、という方法をとる学校もあるのだろうか。
でもそうすると、他の学生にチャンスがまわらず、フェアではないのだろうか。 などなど…。

[女性教師に聞いたこと]
その後、ヴォー・ティ・サウ高校の先生方と近くのレストランにて昼食。
授与式で司会を務めた英語教師のロアンさんと隣の席になった。とても若く、私とあまり変わらないと思ったので、失礼を承知で聞いてみたところ、20代後半で既に3歳の子供がいるという。
ビックリ。
ロアンさんに、なぜ教師になったのか尋ねてみたところ、「親の希望・勧め」だと言う。
ベトナムにおいて、教師は女性にとって最高の仕事だと考えられていると教えてくれた。
ロアンさんいわく、彼女の時代はまだ親の言うことが絶対だったという。
次いで、なぜ英語の教師になったのかを尋ねてみたところ、これまた、「父親の希望・勧め」というので驚いた。
よくグレなかったなぁ…。
他にも、ベトナムでは育児休暇が4ヶ月あること(収入あり)や、親が信頼し安心して子供を預けられる保育所を見つけることが困難な現状を教えてくれた。
ちなみに、女性の先生方がアオザイを着ているのは、学校の決まりだという。アオザイが制服。日本で教師が着物を着る感じだろうか。
大変だ。太ったらもっと大変。 私が小中学生の頃、日本の先生はジャージを着ていた。

◆午後:ビンチャウ中学校とビンチャウ幼稚園を訪問
ビンチャウ中学校はわずかな滞在で、学生と交流する時間がほとんどなかったが、バレーボールやサッカーをして遊ぶ学生に混ぜてもらい、少し身体を動かした。
スポーツは言葉がいらないから打ち解けやすい。中学生の多くは、年齢よりも若く、そして小さく見えた。なかには小学校低学年かと思うような子もいた。
それでも印象的なのは、やっぱりエネルギーと笑顔。
      
FUJI教育基金の皆様が初めてこの中学校を訪れたときとは、だいぶ変わっているのかもれない。その変化をいっしょに味わうことができず残念に思いつつ、私にとっては今回のこの明るい印象が非常に強い。
      
ビンチャウ幼稚園は、本日休日のため、子どもたちはいなかった。 各部屋にはおもちゃの他、壁や天井一面に様々な飾り付けがなされていた。



先生方がアイディアを出し合いながら、時に自費で材料を調達し、 手作りで作った飾りがたくさん。本当に、子どもにとっては夢のような部屋。

夜はビンチャウ幼稚園の先生方と会食。
今晩もお鍋。でも毎回違うお鍋。こんなに種類が豊富とは。
ルーンさんや現地スタッフの皆様のお気遣いに感動。
【10月2日(日):チャウドックで、生徒たちとハイキング】
お天気:晴れ

◆ヴォーティサウ高校、グェンディンチュウ中学校学生20人と1日ハイキング

朝一、近くのマーケットを探検。
アオザイの生地や地元の食べ物を見て回った。



途中、少年が物を売りに来た。子どもを利用して物を売らせ、裏で操っている人が世の中 にはいる。よく聞く話なので、何も買わなかった。

マーケットの外へ出ると、片足のない人がお金を求めている姿を目にした。
ベトナムへ来て似たような光景を見過ぎてしまったからか、あるいは元から冷めているのか、 何とも思わなくなっている自分に気付く。
人間慣れることも、割り切れることも時に大切だと思う。でも、感情の薄れが無関心 へと繋がらないよう、気を付けたい。

[午前中:サム山登山]
その後、生徒と共にサム山へ向かう。
目的地に到着すると、誰の指示があったわけでもなく、皆バスを降りるなり隣に 座っていた学生とペアになり、手をつなぎ、歩みだした。



サム山の中間地点にあるフックディエン寺まで、少々急な階段を登ること10分。
途中、お坊さんがたくさん集まり、体育座りやあぐらをかきながら、チェーらしき美味しそうな 物を食べている姿を発見。日本のお坊さんのイメージとは違い、とてもラフな感じ。



お寺から街を見渡し、景色を楽しみながら、写真撮影パーティー。 人が油断しているスキを狙っては、シャッターを切るカーさん。



その後、希望者のみ引き続きサム山登山。
途中、疲れ果ててバテる私たち日本人。
それに対し手を握り、引っ張ってくれる学生。
足元に気を付けてと、誘導してくれる学生。 後ろから押してくれる学生。
優しい…。
急な山道をしばらく登り続け、何とか到着。



頂上で撮影した集合写真は、皆汗だくになりながらも誇らしげ。地上を見渡すと、 綺麗な山や川、田んぼが視界一面に広がる。どれが何だかわからなかったけれど、 きれいな景色に見とれ、安らぎを感じ、身体いっぱいに新鮮な空気を吸い、再び来た道を戻る。
下山途中、地元の人が木に成っている小さな実をわけてくれた。 あの実が何だったのかは不明。 カーさんがベトナム語で聞いてくれたけれど、どうやらよくわからなかった模様。小さく、 黄色い実で、不思議な味がした。
昼食はフォー。
久しぶりの軽食で、胃がほっとため息をつくのを感じた。
初めて2種類の麺が混ざっているフォーを食べた。

← 阿部さんが描いた、女子中学生のスケッチ















前や隣に座る学生に何度か質問し声をかけてみたけれど、その後会話が続かず。
心と気力が折れ、しばし沈黙。

[午後:クルージング]
下手に手を出したり、左右に揺れると、今にもひっくり返りそうなボート。
360度見渡すかぎり緑に包まれた自然の空間。
木々が深々とそびえ、水面は花や葉で覆われ、木の隙間からは、サギがひょっこり姿を現す。



途中、大きなボートから小さなボートに乗り換え、さらに奥へと進んで行く。



ボートの台数に制限があり、半分以上のメンバーがしばし待機。



予想外に長い待ち時間だったため、ついにカラオケ大会が始まった。
最初は学生、次に先生、そしてFUJI教育基金へと順番が回ってきた。
ルーンさんが私の知らない日本の曲を披露している姿を見て、 何だか恥ずかしくなった。
昔の曲だからではない。日本を知らなさすぎる自分を改めて自覚。 その後ゲームをして遊び、ようやくボートにありついた。



絵に描いたような美しい景色。
ベトナムではじめてゴミ一つない自然に触れた今回のクルージング。
緑の香り。
鳥の鳴き声。
風の音。
申し訳ないことに、しばし学生のことを忘れてしまった。
ボートに乗り、心地よい向かい風をあび、気持ちよさそうにする鈴木さんの 表情が懐かしい。
初めて来たという生徒も、笑顔が絶えなかった。普段はいつも勉強か家事に 追われているのかな。

残念ながら展望台へは時間の関係で行けず。でもクルージングで充分幸せ。
いちど皆でホテルに戻り、けん玉や駒の遊び方が伝授された後、学校へ戻り、学生は各自自転車などで帰宅。
      
夜は、久しぶりに会食ではなく、FUJI教育基金の皆さまとのみの晩御飯。 飲酒派。無飲酒派。
どちらもいける派。お酒により、自然と座る位置が大体決まる。
      
明日はいよいよ(個人的に)最終日。
(以上、高階・記)

【10月4日(火):ハノイ】
 ハノイ組は、6人(カー、ルーン、小倉、宮本(典)、宮本(依頼)、向野)。
 ハノイへのフライトは11時30分なので、サイゴンホテルを9時30分に出ればよいのだが、ホーチミンでアオザイを作りたいというわがままをルーンさんが受け止めてくださり、8時ホテル発となる。
 今回は、生地を求める店と仕立ては別の店、出来上がったアオザイはルーンさんが日本に持ち帰ってくださるという方法。皆さんにご迷惑をかけながら、予定より20分遅れでタンソンニャット空港着。ほっとしました。
 2時間のフライトでハノイ・ノイバイ空港着。
 ファム・ティ・トゥ・ザンさん(Pham, Giang Thi Thu)が迎えに来てくれる。この旅のなかでいちばん逢いたいと願っていたザンさんに出逢えてうれしい。
 空港からニンビン市に直行。途中でザンさんとはお別れと思うと、話したいことは山ほどあるのに、顔を見ただけで満足。
 ザンさんは現在ハノイ国家大学東洋文学部日本語学科の教授なのだが、近く、副学部長になるよう要請されているとか。
 私は2010年に、ベトナムから来られた政府関係の方を、奈良・東大寺に案内したことがあります。そのとき、「ハノイ―ホーチミン新幹線」「南北高速道路」「ホアラック・ハイテクパーク」という三大案件への日本の全面協力要請のことを小耳にはさみました。私はザンさんにお逢いして、この話をベトナムの人はどう思っているのか、じかに問うてみたかったのです。宗教も文化もよく似たベトナム。皮膚感覚からくる親近感をもつザンさんからこそ。しかし、これは次回に……。
 ニンビンのトゥイアンホテルまでの道、私は夢見心地でした。
 久々に見た野焼きの風景が、やたら故郷の景色に似ていて胸いっぱい。
【10月5日(水):ニンビン省 Kimson B高校】
 Kimson B高校は、FUJI教育基金として、今回が初の奨学金授与。
 私たち一行が学校に着くと、教育委員長、副委員長、校長、地域の代表者も交え、20名の奨学生が待っていてくださいました。
 カーさんが私たちを紹介し、20名の生徒に奨学金を手渡しました。





 教育委員長の挨拶:
 「3.11の震災を、日本は安定した国だから、きっと乗り越えるでしょう。」
 「もう10年以上も前からチャットビンに来てくださっていることは知っていた。
 2010年10月8日にチャットビン中学においでになったとき、思いきって、このキムソンB高校にも優秀なのに貧しくて勉学に困難をかかえている貧しい子がいることを話し、FUJI教育基金に申し入れをした。
 そして今日、この日を迎えた。
 その間、生徒たちは勉強にがんばって、FUJI奨学金を受けようと努力してきました。」
 (私は、危うく涙が出そう)
 「ベトナムの人には、いちばん苦しいときに自分の障害を乗り越える姿を伝えたい。
 この学校は、いろいろなコンテストにも最優秀を出していることをFUJIの皆さまにお伝えし、来年もよろしくお願いします。」

 続いて、小柄な女子学生フンさんの挨拶:
 「学生代表として、私はFUJIの皆さまにお約束します。
 私は奨学金をいただいたことを自慢できるようにがんばります。
 また、私の自慢である、私を健康に育ててくれた両親に感謝します。
 そして、この国の大切な人になるよう、建国の精神にめざめて生きることを約束します。」
 (立派!!! ベトナムに息づく儒教の心。私の背筋がピンとした)



ホン校長の挨拶:
 「この学校は45周年になります。1,315人の生徒と100人の教員がいます。
 私は校長として12年目ですが、この学校の誇りはトップの学生がいること。
 12年間のうち11年間、国家レベルの力を、国から認めてもらっています。
 学校・地域もひとつになって、この学校を誇りにしています。」
 (私も、現職時代、校長をしていたことがある。ホン校長に、惜しみない拍手、パチパチパチッ)

 そのあと、2階の学習風景を見せてもらう。先ほどからの挨拶、さもありなんと納得。
 最初の教室は数学。
 前列の子のノートを見せてもらい、一見、教科書かと見間違うほど、きれいな字。この子は特別?と思い、数人の子のノートを見て驚く。どの子の字も、きれいを通り越して美しい。ノートの上端からビッシリと。落書きなど、もってのほか。
 感心しつつ、隣の教室に移動。
 物理の授業らしいが、私たちの気配を感じてか、全員起立している。
 その椅子はと見れば荒削りの板一枚に4人、机もまた板一枚に4人。
 胸が詰まりました。
 感動のあまり、教壇の上から"Sit down please! "  えっ?! なんで私がそんなことをしたの?と、あとで反省するのですが、皆の注目を浴びた勢いで、
 「みなさん、"はやぶさ"ということばを聞いたことがありますか?」
 知らないらしい雰囲気に、つい私は黒板に大きな丸で地球を描き、
 「この地球から"はやぶさ"という小惑星探査機が、」
 ここで、サツマイモみたいな形でイトカワを描き、
 「"イトカワ"という長さ500mの小惑星に飛んでいったこと。 この間、7年がかりで60億kmも飛んで"イトカワ"からサンプルを採取してリターンしたこと。
 このことで、私たちの住んでいる地球の成り立ちや、これからどうなるかが分かるというすばらしいことやねん。」
 とうとう関西弁も飛び出し、黒板の絵と、必死に数字と記号で理解を得ようと努力しました。
 ほんとうに恥ずかしいことをしたものですが――だって、いまの日本で誇れるものは"はやぶさ"と"なでしこ"しかないのだから――。
 高潮した心で、FUJIの仲間に、「国語やったらよかったのにー」と弁解。

 ところが次の教室は、なんと国語ではないか。
 「ホラ、国語よ!!!」FUJIのやさしい仲間が、私の背中を押す。
 もう破れかぶれの私は教壇に立ち、
 「日本の有名な文学者をだれか知っていますか?」
 これには、即、反応あり。
 「松尾芭蕉」「俳句」と声があがりました。
 こんどは、私が芭蕉に苦しむ番。
 「(うーん、)静けさや、岩にしみ入る 蝉の声」
 「(えーと、)古池や 蛙とびこむ 水の音???」
 冷や汗が出そう。
 だいたい5・7・5なんて、英語でなんか説明できるもんやない、とその時は思ったのですが、英語俳句があるのですねぇ。こんなふうに!
The opening ceremony
Flowers flowing
On the river
(入学式に期待と不安で揺れ動く心情を花びらに託して、川を流れていく)
 異文化理解は俳句の世界もOKなのです。
 いずれにしても私は、ベトナムの優等生を前に、日本の恥をさらしてしまいました。
 皆さん、ゴメンなさい。
キムソン B 高等学校の紹介
創立 1966年
住所 フン・ティエン・キムソン・ニンビン省
校長先生 レ・グエン・ホン (Le Nguyen Hong 男)
副校長 ブー・スァン・シン (Vo Xuan Sinh 男)
副校長 ダオ・ティ・ヒエン (Dao Thi Hin 女)
副校長 ド・ティ・ホア (Do Thi Hoa 女)
先生数 75名
全職員 84名
学生数 1,435名
クラス数 33クラス
1クラス 44名
チャットビン中からの入学数 152名(2010年度)
卒業率 99%以上
大学進学率 55%以上
学費 450,000vnd/1年/1人(2,250円:2011年7月初のレート)
教科書代 360,000vnd/1年/1人(1,800円)
その他の経費 700,000vnd/1年/1人(3,500円)
合計経費 1,510,000vnd/1年/1人 (7,550円)
通学手段 自転車
学校の予算 少ない
他からの援助 ハノイのグエン・コン・ツー育英基金及び個人。
参考のため
[面積]
ニンビン省 1,400平方キロメートル
東京都 2,188平方キロメートル
大阪府 1,898平方キロメートル
香川県 1,877平方キロメートル
[人口]
ニンビン省 898,459人(2009年1月1日の人口調査)
和歌山県 1,005,710人
香川県 1,000,169人
山梨県 869,132人
[平均人口密度:1平方キロメートル当たり]
ニンビン省 642人
福岡県 1,018人
兵庫県 667人
沖縄県 609人
(ニンビン市 2,000人)
(岐阜市 2,027人)
(熊本市 1,873人)
(京都市 1,771人)
ニンビン省の高等学校の数 25校
【10月5日(水):ニンビン省 チャットビン中学】
 次の訪問校までは少し時間調整が必要でした。
 カーさんの従兄の家を訪ねました。ここでは、アヒルの大群が迎えてくれました。



 大乗仏教の国、お線香の香を久しぶりに嗅ぎ、手を合わせる幸せも得ました。

 いよいよ最後の訪問校、チャットビン中学。
 来賓は、Kimson B高校とよく似た顔ぶれ。
 来賓のお一人が、カーさんの従兄だったとは驚き。
 宮本(典)さんの挨拶で、「2002年に比べると、この学校が美しくなり、校庭の木々も大きくなり、ベトナムの発展していく力を感じます。」には、同感でした。
 タク校長は、前年、副校長だったとのこと。
 「1人あたり1 200 000ドン×40人=48 000 000ドン(私はこの0000を見ると目がまわり、お金のことがわからなくなる性質)というお金を贈っていただき、FUJIの皆さまが、定年退職後も節約して来てくださる」ということを強調されました。
 生徒代表の挨拶は、「私たちはFUJI奨学金を得られ、幸運を得ました。」というもの。

 中学生の女の子が、肩を寄せ合ってきて、お礼を言ってくれました。
 写真を撮るとき、いまにも折れそうな細い骨格にビックリしている私に、
 「先ほどいただいたお土産の本には、何が書いてあるのか?」 と、これまた驚き。
 私は、『武士道』のなかの「礼」の項に書いてあったことを答えるのがやっとでした。
 「日本もベトナムも、また一人ひとりの人も、バックボーンが必要なの。バックボーンってわかる?
 それはね、日本もベトナムも、苦しい時があったでしょう。
 その苦しい時にも耐えて、人をうらやむことなく、また自慢することもなく、思い上がらずに生きていく力。
 自分の利益だけを求めない。
 お互いにいい生き方をしよう――と書いてあるの。」 と説明しながら、このベトナムの地で自分にも言い聞かせたことでした。

 それにしても、何とキラキラした目をして私の話を聞いてくれたことでしょう。
 この旅の終わりに、この幼い者から、私は力をもらっていたのです。
 旅から帰って1か月が経ちました。
 この旅はハードな旅でしたが、何とも充実感のあった旅だったと思います。
 8日間(実質6日間)で、11校(幼稚園、中学校、高校、大学、特別支援学校)を訪問したのですから。
 終わりに、皆さま、お世話になりました。
(以上、向野・記)

【授与式・交流会】
9月30日
09:45 最初の奨学金授与学校カントー大学に到着。
 FUJI 教育基金の歴史は、1991年に、この大学から始まったのです。
 あっという間に、20年という長い年月が経ちました。感無量です。

 授与式が、日本留学経験のあるグエン・ミン・チョン先生の司会で進められました。
 5人(女性2人、男性3人)の学生に、前年と同じく、それぞれ300万ドンを手渡しました。現在の実勢レートで換算すると、約1万1,000円ずつです。

 クメール族のキム・テ・ニーさん(男性)が、奨学生を代表して感謝の言葉を述べました。

 また、新渡戸稲造『Bushido: The Soul of Japan』(1900年刊)の日本語訳版からベトナム語に翻訳した『武士道』を、奨学生全員と大学の図書館に10冊贈呈しました。
 ベトナム語版の翻訳者は東北大出身のレ・ゴック・タオ氏で、ハノイで出版しました。
 氏はこの本の印税を、東日本大震災への寄付金として贈っています。
 当基金のカー運営委員から、ベトナムの人々、とくに奨学金を受けている若い人に日本人の精神構造や背景などをもっと理解してほしいという提案があり、この本を寄贈することに決めました。

 大学から、農業・応用生物学副学部長のグエン・ミン・トゥイ先生(女性)や学部事務局長のフア・バン・チュン先生が出席しました。
 以前FUJI奨学金をもらっていた学生も何人かが同席しました。

11:00 式終了。学生食堂に移動し、昼食をとりながらの交流に入りました。
13:20 別れるのを惜しみながら、カントー大学を後にしてロンスエン市へ。
15:05 オープンしてまだ1年足らずの、ま新しいホアビンホテルに到着。
 チェックインをすませ、すぐまた出発。
16:00頃 アンザン大学に到着。
 40 haもある広々とした新しいキャンパスになっていて、びっくり。
 古いキャンパスは、先生を養成する師範学科として使われています。

 授与式はボー・バン・タン副学長出席のもと、ミー・ホアン(女性)さんの司会によって行われました。とても進め方が上手な司会者です。
 あとで聞いて分かったのですが、彼女が在学4年生ということで、またびっくり。ベトナム学学科(後、文化旅行学科になる)の学生です。

 旅の参加メンバーが順次20人の奨学生(男女10人ずつ)に、それぞれ230万ドンを手渡しました。 実勢レートで換算すると、約8,500円。
 この額は、昨年より15%アップです。FUJI教育基金の総会で、ベトナムではインフレが激しいことから、奨学金の増額を決めました。

 学校側から、感謝状と大学のバッチをいただきました。
 質疑応答の時間をとり、しばし、お互いのことを質問しました。
17:30頃 授与式が無事終了。
 予定時間より少し早かったけれど、そのまま夕食交流の場所に移動。  旅の一行19人と奨学生20人に加えて、大学の関係者たち、アンザン省で長年日本米を栽培している日−越合弁会社の社員・江森さん(帰化前の名前はタム、男性)、JICAの女性支援プロジェクトの担当者・木戸さん(女性)など、総勢50人ほど。
 20:10頃まで盛り上がりました。

10月1日
08:00頃 ホアビンホテルを後にして、メコン川を遡ってカンボジア国境近くのチャウドク市へ。
09:30頃 予定より早く着いたけれど、そのままボー・ティ・サウ高校へ。
 チャウドクでは、2つの学校、ボー・ティ・サウ高校とグエン・ディン・チュー中学校の授与があります。今回は、時間と手間を節約して、1箇所で式を行うことにしてもらいました。以前はずっとツ・コア・ギア高校で授与式を行っていましたが、今はツ・コア・ギア高校への授与はなくなりました。
 今回、ボー・ティ・サウ高校での授与式は初めてです。
 幸い新しい広い教室が完成したばかりで、授与式を室内で行うことができました。大人数の式典ですと、ふつうは屋外でやるのが常です。
 2つの学校に、それぞれ40人の生徒に奨学金を贈呈します。しかし、室内のスペースの関係で、グエン・ディン・チュー中学校の生徒は20人に限定しました。
 高校生には1人150万ドン(約5,600円)、中学生には1人120万ドン(約4,500円)の奨学金を授与しました。

 授与式には、ボー・ティ・サウ高校のファム・バン・トイ校長、グエン・ディン・チュー中学校のレ・タン・フォン副校長、他の中学校・小学校の校長、FUJI 基金の現地アシスタントであるティン・フオンさん(女性)など、チャウドク市の教育関係者が出席しました。
 英語の先生スアン・ロアンさん(女性)の慣れた司会で、式はスムーズに行われました。
 途中、生徒たちの歌など、暖かい盛りだくさんサービスがありました。
 「日本では未曾有の東日本大震災があったにもかかわらず、FUJI 基金の皆さんはベトナムのことを忘れることなく、はるばるお越しいただいた。
 そして、今年も続けて奨学金を生徒たちにくださる。
 これは大変ありがたいことで、生徒たちはもっと努力して、そのお気持ちに応えなければならない」
という感謝の言葉がありました。

 今回の旅で特筆すべきことは、奨学生たちが日本語を覚えてくれたことです。
 行き先々で、
  「 ohayou 」
  「 konnichiwa 」
  「 arigatou 」
  「 sayounara 」 など、響きのよい挨拶の声が聞こえました。(実は、前もってメールで教えておいたのです。)
 それに対して旅の参加メンバーも負けじと、ベトナム語
  「シンチャオ」(こんにちは はじめまして、こんにちは、さようなら、こんばんは;挨拶の言葉)
  「カムオン」(ありがとう)
  「タムビエト」(さようなら)
  「ゴン」(美味しい) など、声高々挨拶しました。
 これで交流がもっと楽しく印象に残ったものになったと思い、嬉しかったです。

グエン・ディン・チュー中学校奨学生の感謝のことば
 私は、レ・ティ・チュオン・アンといいます。
 グエン・ディン・チュー中学校3年A6組に在籍し、幸運にもFUJI 教育基金の奨学金 をいただいている多くの奨学生のうちの一人です。
 本日、皆様がご来訪し、私たちと交流していただくにあたり、私は友人たちを代表し、 心からの感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。



 私たちは、次のことを、はっきりと自覚しています。
 それは、もし私たちに対する皆様のご関心とご援助がなかったならば、おそらく私たちの仲間の多くが「学ぶこと」を追い続けることはできなかったということです。
 学ぶことは、私たち自身にとって最も大きな幸せです。  学ぶことは、すなわち生きるということであり、自分を含め、あらゆる人々にとってのよりすばらしい将来を生きるということだと思います。
 皆様のご支援は、単に金銭面だけに留まりません。
 私たち全員の困難を克服するための努力を認めていただいたことでもあるのです。
 人間だれしも自分の努力が認められれば、どんなに大変なことでも、どんなに困難な試練にぶつかっても、それらを乗り越えるに十分なエネルギーが沸いて来るものです。
 もちろん私たちもそうです。
 ほかならぬ皆様のご理解、思いやりのおかげで、私たちはあらゆる障害を乗り越えて立派な社会人になり、国づくりはもとより、この社会をより平穏でより幸せなものにすることができると固く信じています。  一人では世界を変えることはできません。
 しかし、もし自らの家庭の困難さを変え、自らが生活する環境を変えることができれば、そこから国ひいては世界を変えることができるでしょう。
 私たちにはそれができると信じています。
(以上、ルーン・記)

【奨学金授与の旅(ベトナム南部)同行記】
1日目      成田からホーチミン市
9月29日(木)晴れ    成田→ホーチミン市 VN951 10:00→14:00
 定刻発、少々早めの到着。途中気流の関係で多少ゆれる。
 入国手続きを終え、いよいよスタート。
 チベットに発し 南シナ海に注ぐ延長4,000km超の大河メコンに出会える! ただそれだけの、多分に旅行気分の参加なので、先行きが心配。
 空港を出ると一気に蒸し暑い。
 気温は32度あるという。
 空港で合流した方々と、現地参加者5人を加え、総勢18人、専用車でまず最初の訪問校、カントー市への途中にあるタンタオ大学へ。
 バスをおり、案内され、大学の中に。広大な土地に、ただいま校舎を次々建設中。現在85名の学生。学費、寄宿舎無料という。
 最初の訪問校なのに、まわりの景色ばかり気をとられ、印象が薄い! ここへ来る途中、休憩した市場ばかりが思い出される。
 トロピカルフルーツがたくさんあり、皆おりて少しずつ試食する。ゆでピーナツがおいしかった。
 その傍らに、真っ黒なつけひげのような形をして、硬い殻におおわれ、どうして食べたらいいの・・・の菱の実があった。食い気と好奇心で挑戦。中身は甘みのうすい栗のような感じ。そこで、すでにいろいろ食品を買い込む。
 タンタオ大学では、スワン先生を知っている方は再会! だが、私は、だれが誰だかわからない。(すみません) 何もわからないままに、1つクリア。

 最初の宿泊地、ニン・キュウホテルへ向かう。
 ホテルに近づくあたりから、床下浸水くらいの水。メコン川が溢れるらしい(6、7、9月が雨の多い月らしい)。大型バスなので迂回せざるをえないようだ。
 夜20時20分過ぎに、カントー市のニン・キュウホテル到着。
 ようやく食事に・・・
 夕食は、生春巻き三昧。なんの葉っぱかわからないが、たくさんでる。どくだみの葉はわかる。それも含め少々刺激的に春巻きを楽しむ。
 メコン川で養殖されている「象耳魚」のからあげもおいしい。しっぽまでカリカリ。頭まで、バリバリ食べられそう。ここはちょっと気取ってしっぽでやめておく。
 たらふく食べて解散。
 やれやれ!緊張の初日が終わった。

2日目    カントー市からロンスエン市へ
9月30日(金)晴れ時々小雨
07:30 時々小雨が降る中、メコン川へ水上マーケットを見学へ行く。
 途中、道路が冠水。向こう側へ気合もろとも飛び越えたり、渡れるところまで歩いたりと、ボート乗り場まで行くのも大変。
 やっとモーターボートに乗り、メコン川を下り、水上マーケットへ。近づいてくる小舟から、マンゴーやリュウガンを試食したり、買ったりと、豊富な果物を楽しむ。

 その後、バスに乗り、農業研究でその名を知られるカントー大学へ。奨学金授与式に参加。
 授与式終了後は、学生たちと昼食をとりながら交流。
 食べることに夢中になっているうちは、まあまあ。一息ついてからの交流が大変。
 シャイな男子学生にどう話してよいやら、習いたてのNgonしかでてこない。
 ケイタイやデジカメを見せながら、つたない英語を交え交流。
 多少のベトナム語も習っておくべきかも。それでも何とか努力!

 メコン川を右に見ながら、ロンスエン市へ移動。
15:00 いったんロンスエン市のホアビン(平和の意とか)ホテルへ。

 すぐに出発、アンザン大学へ。
 立派な会議室に通され、私には、ちょっと場違いな感じ。偉い人になった気分。
 また、その都度、各大学へ、ベトナム語に翻訳された新渡戸稲造の『武士道』を寄贈しているが、日本人の私すら読んでおらず、反省しきり。読んでみなくては、と思うばかり。帰ったらすぐ忘れそうだが・・・
 式では、230万ドンの目録を手渡す(当日のレート、この円高で1円が280ドン程度)。この金額で、こんなに感謝される!
 奨学金の額を多くするか、授与する人数を多くするか、など、話がでている様子(両方が当然いいでしょうね)。
 その後、奨学生・元奨学生など50人くらいが長テーブルに一同に会し、夕食をとりながら交流。学生は一様にシャイな感じ。でこの後は、何を食べたか、記憶がすっかりぬけている。
20:30 ホアビンホテル帰着。

3日目  ロンスエン市からチャウドク市
10月1日(土)晴れ
08:00 ホテルを出てバスに乗ると、間もなく激しいスコール。ものの10分も走ると、うそのようにやんでいる。
 走る道の両側の店や民家(?)の奥には、きまって何本ものハンモック。ずーと以前、子供のころ家にもあった。なつかしい。ゆられてみたい気分にさせられる。

09:20 カンボジアの国境に近いチャウドク市のヴォー・ティ・サウ高校に到着。
 先生はじめ、赤いスカーフを巻いた中学生、アオザイの高校生60名が出迎える中、私たちは到着。思わず「カッワイイ カッワイイ」を連発。
 授与式開会とともに、私たち全員に立派な花束をいただき、今までの生涯で数回しかこのような経験のない私は、涙!が出んばかりに感激(旅の途中だし花束もらってもね・・・式終了後は、出席の校長先生に渡すことになっていた)。

 授与式では、生徒それぞれに手渡す。
 中学生はみな小柄。本当にかわいい。
 高校生は真っ白なアオザイ。
 ちょっとセクシー!かな。
 式は男子学生の独唱など。日本側は、東北の地震、津波以来、盛んに歌われている「ふるさと」の合唱。歌っていると涙が出てきてしまう。困った。中学生など、なんで涙を流しているんだろう、なんて思ったかもしれない。
 しばし交歓。

 ベトナム側は「さようなら」。日本側は「タムビエット」で、挨拶しつつ、学校をあとに、その足で先生たちと昼食交流のレストランに。
これが本当ににぎやか、すっかり盛り上がり、帰りには、先生手作りの貴重な薬用酒をメンバーに届けてくれることになり、バイクで家へ取りに帰ってしまった。他のメンバーは、しばし待つことに。
 無事に薬用酒が届き、13:30いったんホテルにて、しばし休憩。

 また次なる訪問校、基金のメンバー個人が教室建設を支援したビンチャウ中学校へ。
 途中から大型バスが入れないので、乗り換える小型の車2台が来るまで、休憩タイム。ココナツジュースを飲んだり、付近を散策したり、数枚でいくらのマスクの交渉に手間取ったり、と思い思いに待ち時間を楽しんだ。私は、8万ドンの半ズボン(たぶん男物)を購入。これで、今までの汗まみれの臭いズボンから解放される。

15:30 基金メンバー個人の好意で授与式、奨学生20名。
 式終了後、剣玉やコマの贈り物。実演をしてみせる。お互い夢中になり大騒ぎ。
 ちなみに私は、何をやらせても、ぶきっちょ。剣玉もコマもできない。こんなときは、やはり何か得意技があるほうがいい、と思うことしきり。
 サイン攻めの中、帰途へ。

次なる訪問校ビンチュウ幼稚園へ。
16:00 アオザイ姿で出迎えてくれた先生(年に何枚か制服として支給されるとか)に、剣玉やコマを贈呈。実演をして、いったんホテルへ。

19:00 ビンチャウ幼稚園の先生たちと鍋を囲んでの交流会。アオザイに着替えてきたので、ちょっとちがう人みたいな気分。暑いうえに鍋。つゆだくならぬ、あせだくの交流会でした。

21:00 ドン・ナムホテル帰着。やっと汗臭さから解放される・・・。

4日目  チャウドック市
10月2日(日)晴れ
08:00  昨日の奨学生のうち、中学生10人、高校生10人と一緒に今日はハイキング。
グエン・ディン・チュー中学校ヴォー・ティ・サウ高校から、女の先生が2人ずつ参加。
 天気もよく気分もよし。気楽になれる。
 市場近くの駐車場に着いて、私たちが市場見学のため降りている間に、バスが奨学生を迎えにいってきた。市場から戻ってみると、バスの中には、名札をつけた奨学生たちが1人ずつ座って、私たちを待っていた。
 私のとなりは、トアちゃんという女の子。資料には8人兄弟となっていた。
 バスから降りて歩くときは、それぞれ手をつなぐ。
 すっかり子供と手をつなぐ習慣から解放されているので、手をつなぐことを忘れてしまう私は、どの子かわからなくなってしまう。そこで、足元をしっかり覚えておくことに。
 (トアちゃん、ごめんなさい)

 まず始めに、サム山の中腹にある福田寺へ。寺からチャウドックの美しい田園風景がながめられる。
 次は神聖なサム山登山。「頂上まで30分、頂上からはカンボジアの田園風景が見渡せる」というガイドブックの説明に、簡単に行けそうなので楽しみにしていた。
 が、時間がないとのこと。それでもねばり、途中まででもと、希望者のみ地元の小学生をガイド代わり行く。ずうっと急な階段が続く。
 前を行くトアちゃんの足元だけを見て、階段を上る。トアちゃんはサンダル履き。足のひとさし指(?)が長く先がまあるい。しっかり大地を踏みしめている感じが伝わってくる。
 見晴らしのよいところで、風景を目に焼き付け、記念写真を撮って下山。 もう1ヶ所寺をまわり、それから、みんなでフォーの昼食。
 また一緒にバスに乗り、次なる予定のクルージングへ。

 マングローブならぬ、ユーカリに似たカユブテの林をボートで行く。
 サギの営巣地になっているとかで、夕方にはたくさんのサギが帰ってくるそうだ。
ボートをおりて今度は展望台へあがり、望遠鏡で湿原に帰ってきたサギの群れを観察。有料の望遠鏡に子供を忘れ、大人が夢中になって見てしまった。

 帰りのバスは、男子学生の独唱に始まり、ベトナム語、日本語両方の「ドラえもん」の歌や、ベトナム民謡など。日本側は「上を向いて歩こう」「また会う日まで」など、歌の交歓会。 その後いったんホテルに立ち寄り、寄贈するコマなどの実演をして、子供たちを学校へ送りとどけた。

19:00 私たちは夕食。子供たちは、これから1時間かけて自転車で帰る子や、バイクで帰る子などがいると聞いて、少々心配になる。
 とにかく楽しく、長い1日が終わる。
 さあー、これから夕食。ここでやっと、我々も冷たいビールにありつける。ヨー!の大歓声とともに乾杯。飲んで食べて飲んで・・・なにを食べたか忘れてしまった。
21:00 ドン・ナムホテル帰着。疲れたー。おやすみなさい。

5日目  チャウドク市からホーチミン市
10月3日(月)晴れうす曇 雨
08:00 ビン・ミー幼稚園を訪問。
 1クラス三十数名の3-4歳くらいの子に、先生1人で対応。先生はけっこうきびしいらしい。全員で354人いると聞いてびっくり。
 しばらく子供たちを観察したり、一緒に遊んだり。思い思いに過ごす。 私はかわいい子供にしばし見とれる。どの子もまったく日本人とかわらない。
 ところが、かなり小さい子でも、ほとんど耳にピアスをしている。首にはネックレス。腕にはいくつものブレスレット。足につけている子もいる。これは習慣の違いだからとまあ理解。
また、子供たちは肩のところに大きな安全ピンで、小さなハンドタオルをつけている。口や手などをふくのだろう。首にくさりがからまるのではないか、安全ピンが刺さるのではないか・・などと話していたら、日本の子供は守られすぎ?という結論に達した。

09:40 園を後に、以前支援していたというベンチェ刺繍教室をめざす。この施設はベトナム戦争の枯葉剤使用による障碍者のためにもうけられた施設という。
 道中、長い旅。途中、ロンスエンで昼食。
 またまた鍋、今度はカエル入り。以前、日本の割烹でフライにしたものを食べたことがあるが、カエルと言われなければ、わからなかった。で特に驚かない。まあ弾力のあるチキンといった感じか。でもこちらは、しっかり足の形がわかる。足の付け根から先っぽまで長いまま。
 昼食をとり、汗だくのまま、またバスに。
 それから大きな河にさしかかり、かなりの時間待たされて、やっとフェリーに乗る。フェリーに乗ってしまえば、あっという間に対岸へ着いてしまった。ほんの少し居眠りをしていたので、バスの外に出るひまがなかった。ちょっと残念。
 そのままバスに乗っていると、途中から雨、涼しくなってむしろほっとする。それからどしゃぶりになった中、教室に到着。

 一見、障碍者が少ない。ところが、ほとんどの子が耳がきこえないという。教室の作業を見学させてもらう。少しでも助けになればという気持ちから、皆さん刺繍された小物やシャツなどたくさん買い込んで18:40帰途に。

19:20 ようやく食事。 こちらに来てはじめてお目にかかります。小ぶりのバレーボールといった感じの物がテーブルに。もちをふくらませボールのようにして揚げたもので、これをつぶし皆で切り分けていただく。とてもおいしい。象耳魚もまた出てきた。今日はめずらしいものを堪能、どしゃぶりだった雨もあがり、ホーチミン市のホテルへ。

21:40 サイゴンホテル到着。満足満足、満腹満腹。

6日目    ホーチミン市
10月4日(火)晴れ
 今日からは、ハノイへ行き、ベトナム北部の学校での奨学金授与式に参加するグループ。アオザイを作りに行くグループ。個人で自由行動する人など、それぞれ別れて行動。急にさみしくなる。
08:30 私たちは、オーソドックスにタクシーでホーチミン市内観光。
 まず定番、統一会堂(旧大統領官邸)。中を現地ガイドさんの案内で見学。社会主義国家になってどう変わったかなど、ほんの少し話しを聞く。
 外に出て、こんどはサイゴン大教会付近をぶらぶら。ちょうど花嫁花婿さんが、カメラマンをひきつれ、教会をバックに写真を撮りにきていた。台湾などでも名所旧跡をバックに何枚もプロが写真を撮り、豪華なアルバムを作って、結婚式で披露していた。ベトナムでも同じような習慣があるのだろう。
 「立派なアルバム作って、別れるときどうするんだろう」なんて勝手に想像。(失礼)
 もっと見学したかったが、お昼は、ホーチミンに残っている方と一緒にとることになっているので、見学は終了。食事へ。もうこのころから食事にも慣れてきて、なんでもオーケー。その分、何を食べたかも忘れた。

14:10 一息ついて、また学校訪問へ。
 こんどは奨学金授与ではないらしい。ホーチミン師範学校の日本語学科へ。
学校へ行くと、日本語を学ぶ学生が減っている・・という話をしていた。世界中で日本語が通じるのは日本のみ。効率からいえば英語に勝る言語はない。それでも熱心に日本語を学ぶ学生に敬意を表して、今日はにわか日本語教師になる。授業の一環だというので責任あり。
 すでに各班に分かれている中に私たちは1人ずつ入り、思い思いの教育法?で日本語を学んでもらう。日本人であるというだけで、教えられるわけでなし、冷や汗をかきかき2時間。ようやく終わって、声もかれ、疲れもどっと出てきた。
 終了後、今回この授業に同行したかつての奨学生2人を交え、喫茶店でしばし休息。「トゲバンレイシ」という果物のジュースをいただく。アイスクリームシェイクみたいな感じでとてもおいしい。帰途へ。
18:00 先ほどの先輩学生2人をふくめ、こちらに残っている人たちも一緒に夕食。
これは忘れない。メニュー豊富なホテルバイキング。カキやホタテ、エビなど、その場で焼いてくれる。お寿司もある。
 ゴルフボールより大きなタニシ(?)のような物も焼いてもらい食べてみた。同行したベトナムの女の子が好物らしく、たくさん焼いてもらっていた。
片っ端から食べてみたいが、そろそろ体重が気になり少しセーブ。

20:00 長い暑い汗びっしょりの1日が終了。ホテルは目の前。歩いてサイゴンホテルに帰着。いよいよ明日を残すのみとなった。

7日目    ホーチミン市からミトーへ、またホーチミン市 10月5日(水)雨
07:40 クチの地下トンネル見学を目的に小型車で出発。しかし、雨であることや現場の状況を考え、ミトーに急遽変更。
 クチもミトーも同じような距離で2時間ぐらいかかるらしい。かっぱを着たバイクの群れを抜けて車が郊外に出ると、青々とした田園風景が広がっていた。途中からワイパーがきかないくらい激しい雨。台風が来ているらしい。

09:20 メコンデルタの入口の町ミトーに到着。これから果樹園を見学に。 オブラートに包まれたような格好(超薄の全身ビニールカッパ)で小舟に乗る。ニッパ椰子の林を、手漕ぎのボートは結構早く進む。中洲状の1つの島に上陸。
 ハチミツやローヤルゼリーの売り込みに、たくさん買い込む。 次は民族楽器の演奏と歌を聞きながら、果物をいただく。ここでようやくジャックフルーツを食べることができた。味、歯ごたえとも微妙。
 そこを出て、昼食は、日本の皇太子も訪れたというレストランへ。2日前、ロンスエンでお昼に食べたライスボールの実演をやっていた。じっくり見学。長い柄のついたお玉と、スティクを左右の手に持ち、大きな中華鍋で、どろどろのもちを転がしながら、ボール状にふくらませて揚げていく。時に黒煙があがるほどの熱さの中、大変な作業。味わっていただかねば。
 帰りはまた来た道をおしゃべりし放題で、時間も忘れ14:30ホテル帰着。 しばし休憩ののち、最後の訪問施設「あたたかい家」へ。

15:20 強制されないオープン施設「あたたかい家」訪問。
 ここは元ストリートチルドレンや親のない8-16歳の男の子ばかり、22人がいるという。ここから学校へ通ったり、14歳からは職業教育を行ったりする。16歳までの子供を収容しているが、それ以上の子も続けられる子は、いることができる。政府が管理し、費用の3割を負担している。スタッフは4人。
収容する子供は減ってきている。社会が豊かになってきていると考える。以前はカンボジアからも子供がたくさん来ていた――などと、日本流でいえばイケメンの青年が話してくれた。(最後だと思ってしっかり聞いていた。)
 ここでも持参したコマに、みんな真剣に取り組んでいた。他に日本からのおみやげ。うめぼし、ほしがき、せんべいなど。
 帰り際にトイレを借りようとのぞいて見たら、シャワーのないシャーワー室みたいなところに、隅に吸い込み口があり、かたわらにバケツと手桶。大は違うところにあるのだろう。ちょっとむり。早くホテルへ帰ろう。

16:20 帰途に。
17:30 サイゴンホテル帰着。荷物整理。帰り支度。忙しい。
18:15 レストランにて、最後のベトナムの夕食。熱々のキノコ鍋。サトイモなども入り、ちょっと変わっている。たべきれなかったエビは、ビニール袋に入れお持ち帰り。なごりをおしみながら20:30にお開き。一路空港へ。

21:00 タンソンニャット空港着。
00:05発の夜行便。明日の朝は日本。 出国手続きをすませ、みんな思い思いにベトナムでの楽しかった日々を振り返りながら、出発を待つ。
 さようなら。お元気で奨学生の皆さん。おいしいものをたくさんありがとう、メコン。
(以上、土屋・記)